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【アラベスク】  第18章 恋愛少女



第4節 何もしないよ、今夜はね [2]




「ガキが押しかけてくるからだよ。煩いからだ」
「会いたくないからじゃない?」
「は?」
「美鶴ちゃんに、会いたくないからでしょう?」
「そうだよ」
 何を言う、と言いたげに笑う。
「そう言ってるじゃないか。俺はあの小娘の顔を見るのが嫌なんだ。だからこうして逃げている」
「違うわ」
 智論は真顔で否定する。
「そうじゃない」
「何が?」
「あなたは恐れている」
「何を?」
「美鶴ちゃんと会って、話をして、彼女のペースに巻き込まれるのが怖いのよ。彼女と居ると、つい昔の自分が出てきてしまう。どんなに怠惰に振舞おうとしても、つい気に掛けてしまう。無視できない」

「霞流さんは怖いんだ。自分の本心を他人に知られるのが怖いんだ」

「まさか」
 グラスを握り締める。
 涼木魁流を前にして、思わず饒舌になってしまった自分。
 なぜだ。なぜ自分は、あんなにも熱く語ってしまった? 情熱など、興味など、とうに捨てたはずなのに。
 醜態だった。あんな姿など、二度と見せるワケにはいかない。
「俺は、あの女には興味も無い」
「その強がり、いつまで続くかしら」
 腕を解き、右手を腰に当てる。
「美鶴ちゃんは本気よ」
「俺には関係ない。ただ、これ以上俺を煩わせるというのなら、本当に泣く事になる」
「泣かせないわ」
 ピッと左の人差し指を向ける。
「美鶴ちゃんは、絶対に守ってみせる」
 氷がカランッと、小さく鳴った。





 myrtle(マートル)。銀梅花。
 美鶴は制服の上着のポケットを押さえながら足早に家へと向かう。智論と別れたのは一時間ほど前。普段は使わない駅から帰ってきたので、電車代が少しかかってしまった。思わぬ出費だったが、気分はそれほど鬱ではない。
 あの香りが、また手に入る。しかも今度はツバサ経由で手に入れたシャンプーとは違って、用途も豊富なオイルだと聞いた。
 スプレーを作って部屋に振りまくのもよし、ハンカチなどに染み込ませて必要な時にその香りを楽しむのもよし。
 どうやって使おうか? 今回もらったブレンドオイルは30mlだ。マートルだって、そんなにたくさんはもらえないだろう。でも、刺激が強いといけないから希釈して使ってもいいって言われたし、薄めて使えばだいぶ長いこと使えるのでは? 楽しみだなぁ。あ、でも智論さんは忙しいんだし、急かすのはよくないよな。智論さん、今ごろは滋賀に戻ってんのかな? レポートに追われてるのかも。
 想像してみると、思わず笑い出しそうになる。
 アロマテラピーか。ちょっと調べてみようかな?
 智論に声を掛けられた時や、駅舎で霞流から下卑た視線を向けられた時の沈んだ気持ちなどどこへいったのか。少し浮ついた足取りでマンションの入り口へと向かった。
 明日からまた同級生たちのイビりに立ち向かわなければならないというのに、まったく気にならない。所詮はただの嫌がらせだ、適当にあしらっておけばいいさ、くらいの余裕まである。
 夕陽が闇を誘い出す黄昏。少し暗くなり始めた辺り。ガラスの扉と向かい合い、背後の人影に気付くのにも数秒かかった。
「ひゃっ!」
 自動ドアのガラスに映った人影に、慌てて振り返る。
「瑠駆真」
 その顔には、美鶴と出会えた嬉しさなどほとんど浮かんではいない。
「ずいぶんとご機嫌だね。意外だ」
 言って、歩み寄る。
「駅前から付けていたのに、まったく気付かなかったね」
「駅前から?」
「携帯に電話してもメールしても繋がらない。聡に聞けば、見知らぬ女性と車で去ったらしい。しかもその女性は霞流慎二の名を口にしていたとか。気になるのは当然だろう?」
「聡?」
「駅舎へ行ったが、すでにもぬけの殻だった。ご丁寧に鍵までしてあったから、君は今日は駅舎へは来なかったのかと思っていたんだ。今日、二時間目からサボったよね?」
 言われて気付く。
 そうだ、私、今日は一時間目しか出てなかったんだ。
「霞流との関係が噂になっている。原因はそれだろう?」
 無言で見つめ返す瞳に、瑠駆真が曖昧に頬を緩める。
「答えなくていい。わかっているから」
 何もかもお見通しだといった言葉。癪に障る。
「いたたまれなくなって学校を早退した君の気持ちもよくわかる。もっと早くに早退に気付いていればよかった」
 気付いていれば、瑠駆真も、そして聡も同じように学校を早退しただろう。
「駅舎に鍵がしてあったから、君は早々に家へ帰ったのかと思っていた。だが聡に電話で聞いたら、違う答えが返ってきた」
 鞄を持ち直す。
「やっぱり君は、学校を早退した後、駅舎で過ごしていた。そうして、そこに霞流も来た」
 思い出すと、気持ちが沈む。
 せっかく落ち着いてきてたのに。
 上着のポケットをそっと押さえる。
 これを使えば、また少し、楽しい気持ちになれるのだろうか?
「聞いてるの?」
 少しイラついたような言葉に、慌てて顔をあげる。
「聞いてるよ、それで何?」
「何? とはずいぶんだね。今まで僕がどれほど探していたと思っているんだ? 日が暮れても連絡が付かないようなら、聡と二人で繁華街へ探しに行こうかと思っていたところだ」
「よかったわね、手間が省けて」
 突き放すような口調に、瑠駆真の表情が険しくなる。
「そんな言い方をされると、こちらも引くに引けなくなる」
 言って、一歩前へ。
「こちらが必死に探している間、君はずいぶんと楽しい一時(ひととき)を過ごしていたようだね」
「別に、そんな事は」
「聡の話では、霞流にずいぶんな言われ方をされたようじゃないか。かなり参っていたと聞いたが?」
「そ、それは」
「それがどうだ。見つけてみれば、ずいぶんと浮かれた足取り。後ろを付いて歩く僕の存在など眼中にも無いらしい」
「駅からって、だいたい、なんで駅だなんて。どこに居たのよ?」
「駅前の寂れた喫茶店だよ。駅から出てくる人間を観察するには都合の良い場所だった。家にいないから、帰ってくるなら駅で待つのが一番だと思った」
「どうして家に居ないってわかったの?」
「電話をしたら、君のお母さんが出た」
「お母さん? 今いるの?」
「もう出勤したみたいだ。さっき二度目にかけた時には誰も出なかった」
「私が部屋に居て、でも電話には出なかったとは思わなかったの?」
「思ったよ。だから、入って確認した」
 言いながら、上着の胸のポケットを指差す。きっと、合鍵が入っているのだ。
「勝手に入ったの? 最低っ」
「了解は得ているよ」
「誰のよ?」
「君のお母さん」
 あのバカッ!







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